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働き先での話

日常 思索

自分は技術系として雇っていただいている。今日もその出勤だった。
その技術系の仕事というのは僕以外の複数名のチームで動かしているのだけれど、とかく他のメンバーが全く使えない。「あいつがやってくれるから」と思い込んで全く技術を習得しようとしないし、連絡もろくによこさず当日ふらっときて、誰にでもできる仕事をやり、技術の絡む仕事は僕にやらせ、自給をきっちりもらって帰っていく。ここが何処か自覚した上での緊張感とは到底思えない。
このままで終わるつもりは毛頭ない。「このまま僕に依存している限り、彼らは真剣に技術を習得しようとはしないだろう」と思い、他メンバーのほとんどが揃う日に、あえて僕はお休みをいただいたことがあった。すると、その日の晩に、事務所から電話が。「今日のメンバーが仕事を失敗させてしまい、彼らで何とかすることもできなかったので、申し訳ないが後日修復しに出勤してくれないか」とのこと。メンバーからの連絡は、何もなかった。
いい加減に働き先の方も、まともに技術で仕事ができるのは僕だけだと分かってきたらしく、本来チーム全体で協力すべき仕事も、僕個人宛てに依頼がくるようになった。自分に任せてくれたという嬉しさよりも、責任を抱え込み続けていつかパンクする自分を想像して、その度ぞっとしていた。今まで属してきた集団における失敗は、突き詰めればいつもそこだからだ。*1
しかし、幸運なことにその件は良い方向に進みそうだ。今日、働き先のチーフが、僕以外のメンバーに対し「戦力外通告」をしてくれた。今まで僕から注意を受けても*2平気な顔をしていた彼らが、今回のチーフからの厳しい喝には流石にショックを受けていたようだった。本当にありがたかった。*3


ところで、その働き先に最近、同学年のインターン生が2名ほど入ってきた。
同じ働き先に勤めているとしても、僕と彼らは決定的に違う。まず、僕はたまたま舞い込んできた話に乗ったというだけのことでここに勤めているが、彼らは自主的にこの場を選んでいる。しかも、僕は自給をいただいているけれど、インターン生の彼らは恐らくお金をほぼ貰っていないだろう。この場で経験を積みたい一心で来ている。今日少し彼らと話をしただけでも、確かな恥ずかしさと危機感を覚えた。
彼らの姿を見て、梅田望夫さん(id:umedamochio)のブログの次の言葉を何度も思い出していた。

「見晴らしがいい場所」は1時間の重みが違う。

「世界観、ビジョン、仕事、挑戦――個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) - My Life Between Silicon Valley and Japan

彼らはこのことをよく熟知しているのではないだろうか。彼らはインターンという方法で、自分のを「見晴らしのいい場所(=興味分野の情報がリアルに飛び込んでくる場)」に、強制力をもって置き続けている*4。そして、「見晴らしのいい場所」にいることで、「今の自分に必要になってくるもの」「危機感」「理想」などを確かにキープしている。これらを持ってるか否かが、時間の使い方を全く違うものにしていくのではないかと思う。目的と危機感を備えた人間の行動力は、いつも圧倒的に強い。
自分の身を置く場所を改めて考え直さなければならないな、と感じた一日だった。属す集団によって、危機感のレベルも違えば種類も違う。問題は、自分がどのような分野において危機感を持ちたいか、その活動の軸を持つことではなかろうか。軸がまだ心許ないと感じるなら、それを構築することから始まる。自分の軸を、属す集団を選ぶ際のものさしにしなければ。
 

*1:とかく自分は、「ほどほどに無責任」というのが苦手だ。今まで属してきた団体でも、抱え込んでいる責任を無意識のうちに膨らませすぎたゆえ、大きな失敗をしてきた。自分が現在はサークル・学生団体から距離を置いている大きな理由の1つは、そういったトラウマだ。

*2:全員年上だというのに困ったものだ。

*3:ところで「叱ることができる力」って凄いと思う。何でもかんでも「衝突を面倒くさがる」自分は、本当に見習わなければならない点だと感じた。

*4:この「強制力」というのが大事だと思う。元々意志の強い人間なんて滅多にいないのだから、行動できない理由を意志のせいにしたところで自分をいたぶるだけだし、結局同じ失敗が繰り返されてしまうと思う。「どのような強制力を自分に与えるか」ということは、自由の多い反面強制力の少ない大学生活において、とても重要なテーマではないだろうか。